舞台「文豪とアルケミスト余計者ノ挽歌」感想序

15公演を終えて、今、この作品は生命力に満ち満ちていたな。


そう思えています。


この作品は時間にして2時間、120分にも満たない質量だけれど、公演を見終えると、それ以上にもそれ以下にも感じる倒錯的な気分に毎公演なりました。


冒頭から導入部に掛けては、原作を知らない人への説明部ではあるのだけれど、上手く笑いが組み込まれていて、見ている側に説明を説明と感じさせないようユーモラスに組み上げている上に、座長である平野さんが演じる太宰さんに憎めない我儘さ、可愛さがあってこそ。


キャラの立ち絵再現、最初の潜書を伏線に。

そして、各派閥、キャラの関係性。

それが無駄なく入っているのが、脚本のソツのなさと、演出の見せ方がとても上手い。


OPでも全ての歌詞が各文豪にスポットが当たっていて、気付くと自分のキャラどんな風に表現されているのかな?!

なんて楽しみも出てくる。

初見でも楽しめるけど、二回目からより楽しめる要素沢山ある!凄い!ってなります。(ただ、人によっては一回目は虚無でするめ舞台って人もいるので、そこは悪しからず。)


そして、ここのOPに入る前(※1)は、芥川先生だけ剣(武器)を持たない。

一人煙草を蒸して、煙に紛れるように捌けていく。天才アンサンブルの人達8人だし仕方ないなんて思ってしまいますが、これも伏線なのですよね。


最初の潜書が「鼻」だけれど、これ自体も伏線で、これが終わったあとに「ところどころ記憶が曖昧でねー」という芥川さんの台詞も重要な鍵。

お笑い挟みつつも、大切なことを散りばめすぎていて、回収大変なんですけれど??とクレーム入れたくなる。(なるだけです。)

白樺派の双筆神髄を見て「あれやろや」というところも織田作(※2)の落ち込み方可愛い!って見てますが、これも大切なこと。笑


この後、無頼は過去の思い出に浸り、白樺派は研究を、乱歩はちょっか……案内役して、とか色々とありますが、この関係性を見せるのは感情移入するのにとても大事で、そのキャラが愛しくなる必要な地盤なんですよね。

重要なので、自由軒に行ってみたりしました。(行かなくていいんですよー。)


そして、この9人の中で記憶が一番曖昧なのはきっと志賀さんなんだろうな。

と個人的には思っています。

全員転生したてではあるのですが、行動への理由が一番曖昧なのは志賀さんなのですよね。

その次は芥川さん。


芥川さんは劇中の1番のキーパーソンで、その作品への記憶が物語の軸になるので、仕方ない。


では、志賀さんは?

なんで?


と疑問が出てくると、どう考えても太宰とのキャラの差別化。

ただ、ゲームからキャラを逸脱しすぎるのも解釈違いを起こして、うまく受け入れられない可能性がある博打要素。


だから、乱歩にも「転生したてで一部記憶が曖昧」的なことを言わせているんでしょう。


志賀さんが記憶が曖昧なことによって、太宰さんへの負の感情が強くなり、芥川さんへ慈愛の気持ちが強くなる。


きっとこの舞台の志賀さんは精神「やや不安定」か「普通」あたりなんだろうなと思います。


序の終盤で中原中也「サーカスの一節」が挟まるんですけれど、これはどういうことかな。

と思うんですが、解釈は人それぞれと思いつつ。


太宰の話を聞いた揺れ動く中原の心情。

そして、自分の詩の原点へ帰郷したような、ノスタルジックな気持ちになったのかな。だなんて捉えています。


※1 ずこーっは芥川さんは公演によってやったりやらなかったりして、可愛いです。

※2 織田作が凄いおかんおかんしてて好感度鰻登りだったのですが、特に太宰くんが泣きそうになる時に一緒に「むー」ってなるのが、堪らんもうやめて。やめないで。なんて葛藤を産みます。