舞台『サイコーのパス』考察と感想
12/16-12/20まで中野ザ・ポケットで行われた『サイコーのパス』の考察を感想も交えつつ書いていこうと思います。
粗筋としては、『山奥にある喫茶店に次々と現れる赤いセーターの待ち合わせをしている男たち。皆、経歴も出身も異なる。だが、待っているのは昔約束をした女性で…』という少しありそうで特殊な舞台の設定。
というのもなかなか、山奥の喫茶店で待ち合わせなんてしませんよね。
舞台を見たことを前提に書いていくので、詳しい話の内容は割愛します。
【タイトルと6人の人物】
先ず、サイコーのパスはそのまま。
『サイコパス』が繰り広げる殺人事件の話。
登場人物は6人。
1人は喫茶店のマスター。原田。
4人は誰かと待ち合わせている赤いセーターを着た男。
村上、三浦、小林、大野。
最後の1人は謎の女である。
ただ、これはこの中にサイコパスが2人いるので、それがまた面白い。
先にネタばらしをすれば、1人は一番最初に喫茶店へ訪れた人物、待ち合わせをしている男の1人である村上。IT系に詳しく、ゲームが好き。
もう1人は謎の女である、ひろこ こと、めぐみ。
劇中ではひろこ、めぐみ、マリリン、アミーダの4つの名前がある。
本名はめぐみ。
これは登場人物である三浦の妹の名前と同じであり、生き別れた妹と同じであることは劇中で明白になる。
最初は4人の男が思い出を話すにつれ、それぞれ別の女性ではないかと感じるが、最終的には同じ人物である。
【村上とマスター】
序盤は暫く喫茶店の最初の来訪者、村上とマスターの会話が続く。
このシーンは大事なことが沢山詰まってます。
何回も見ましょう。
①マスク
村上が『シュコー』と音を立てながらしてくるマスクはいいマスク。
「99%除去」のマスクである。
ここで、「ウイルス」「菌」と言わないのがポイントで誰もがこのコロナのご時世だから、そう思い込む。けれどそのマスクは「一酸化炭素」を除去できるマスク。(実際はもっとごついのじゃないと厳しいとは思うが舞台いうことで。)
そのマスクは最後のシーンで大活躍するのでパンツにしまいます。
初見の時は(鞄にしまわないんですか?)と心で突っ込みました。
②サイコパスになり切れない村上
席に着いた村上に「登山ですか?」と言うマスター。
即座に「違いますよ。」と村上は返すが「そんな格好で登山しようとしたら、珈琲に毒を入れてやるところでしたよ」という返しに驚く村上だが、結構オーバー気味なリアクションである。
これはこの後、自分が計画している殺しの手法の一つだから、ここまで驚いたのだと思われる。(後述に詳しく書くが村上が小林を殺したのは毒入り珈琲である。)
多分、普通の人ならもう少し落ち着いて対応する。
③L'Arc~en~Ciel
村上と待ち合わせの人がいい雰囲気になったら、音楽を流しましょうか?
という時に出てきたのが「あなた」と「BLESS hydelesver.」である。
ここでhydelesver.に付いて少し長めに喋るのだが、L'Arc~en~Cielのhydeがジキル博士とハイド氏のhydeと同じ綴りな事に掛けてるようにも感じた。
というのも、この時点の村上はサイコパス(hyde)を消している(les)状態。本当はサイコパスなのである。
そして、調べてみると偶然かもしれないが、ジキル博士とハイド氏の翻訳者に『村上』という人もいる。
また、謎の女であるめぐみが小林と付き合っていた時は、『マリリン』と名乗っていた。
20年ほど前の作品になるが、ジキル博士とハイド氏を元にした『メアリー・ライリーの恋~ジキル博士とハイド氏~』という作品もある。
メアリー=マリー=マリリン。
となっても不思議ではない。
ただ、マリリンは村上にとっては、ハイド氏やジキル博士が恋したメアリーであったけれど、実際はhydeだったのだが…。
これは往年の名作ですが、マスターが何回かこれを口にする。
私は貝になりたいは主人公が戦時中に捕虜を殺したというC級戦犯の理由で逮捕され死刑されるまでを描いた作品。
でも、実際には殺せなく、怪我を負わせたのみ。
こういった背景のある作品名を言うことが、マスターの存在理由を暗喩しており、存在理由を明確化しているのかなと感じた。
つまり、マスターは三浦大野を殴りはしたけれど、誰一人殺していない。罪を擦り付ける為だけのただの駒だった。
店長の鼻歌リストが欲しいです。笑
【謎の女】
劇中でほぼほぼネタばらしされているので、考察も何もないのだが、食材を集めに行くところ。
きっとこれも彼女の計画に入っているのが怖い。
彼女は小林、大野、村上の顔は知っている。
(村上の場合は事前打ち合わせしているため知っていると仮定。)
なので、残りの1人である三浦だけ顔が分からない状態なので、残りの赤い服が自分を父親と2人にした兄だと確信できる。
つまり、三浦を突き落としたのは、兄だと分かって殺意があっての行動。
彼女が仏教のアイドルをやっていたことは最大の謎ではある。
ただ、解脱したかっただけかもしれない。
そして、死んでも、輪廻転生しても、約束を守ってくれれば4人の、4人以外の誰でも良かったから救って欲しかったんだろうとも思える。
彼女にとっては、3人は婚約者で兄に会わせる約束は本当で、ただただ兄への復讐の駒にされたのがその3人だった。
好きだった赤いチューリップ色のセーターを目印にしたのも、昔の思い出がそうさせたのだと思うとまた悲しい。
最初はコミカルで楽しかったけど、怖気と悲しさの残る舞台でした。
舞台『剣が君』は本当に対策ができていたのか?
舞台『剣が君』が無事に千穐楽を迎えたことを受けて、実際に行ってみて対策がどうだったかの覚書です。
また、舞台やイベント、ライブ、スポーツ観戦などの文化的興行は続けてほしいと思っているので、中止をしてほしいという内容ではなく今後もっと注意をしなければならないのではないかと感じたことを書いています。
コロナ対策、またそれに付随した疑問点等のまとめ。
1.舞台上の密
個人的には今現在、メディアに取り沙汰されている『The☆JINRO~イケメンアイドルは誰だ~』ほどにないにしろ。密なところは密でした。
稽古中はハーフフェイスマスクや、通常の不織布、ウレタンマスクをされていたようですが、舞台上ではフェイスマスクはなしの状態です。(稽古動画などを見ている限り、稽古中換気がされていたのかは疑問)
その状態なのに、1M以内での対面会話が複数あり、殺陣もあり。
なので、キャスト同士の飛沫対策は完全になされていない。
同時期に上演され始めた三谷幸喜さんの『大地』のゲネ映像を見るとそのことがより実感されました。
全編を見ているわけではないですが、この5分ほど映像のなかでもソーシャルディスタンスを保ち、意識した公演というのがよくわかります。
これならばフェイスガードがない状態というのも納得ができます。
2.客席内の密
6/30付けのガイドラインによる「集団と集団との距離の確保」は徹底されていないものでした。
基本的には一席空けてが以前のガイドラインでは書いてありましたが、今回のガイドラインでは少し変わったものの連番でとった人でない知り合いでない、赤の他人でも一席空けずに隣になるというチケット割り振りはガイドラインに則っていません。
ガイドラインでは「努める」とされているので、完全に空けなくてもいいのかもしれませんが、十数組隣同士が見られるのは異様に感じました。
また、公演前に追加席が売り出されたのもどういう理屈なのかわからず、本当に50%未満であったのか…連番チケットじゃない人が隣同士になっているのをみて、少し疑問が残りました。
そして、最前列は開けているもののサイド席が斜めになっていることを考慮しておらず、二列目の人は実質最前と同じ距離なので、ステージから十分な距離が取れているとは言えない配置。
座席表で言う二列目のサイド二席になります。
https://www.t1010.jp/html/guide/seat.html
サイドが斜めになっているので、今回のように単純に交互にしただけでは前後に人がいる状態となり左右の間隔はあくものの前後は空かないという、単に番号で振り分けし、実際に客席実証はしていないのが如実でした。
劇場と割り振りの話をどうやってしたのかは存じ上げませんが、これは確りと前後左右位置関係の把握ができていないということです。
劇場はこのことについて指摘して然るべきではないでしょうか?
3.客席・ロビー内での会話
最初のほうはロビー、客席ともに話している方が多く、それに対してスタッフは注意もせずに通り過ぎていました。
今回、ガイドラインには「客席での会話は控えるように周知する」と書いてあるにも関わらず、公式サイトにも記載されていないのでこれは運営のミスです。
最後のほうは立ち話している人は注意されていましたが、着席で話している人への注意はずっとないままでした。(サイトに記載していないので当たり前ですが。)
フェイスシールド・マスクを装着しているとはいえ、スタッフが練り歩きながらの注意喚起はどうなでしょうか…。
場内アナウンスできるのだから、設備を最大限に使ってほしいと思います。
4.物販
決済は現金のみ。
通販はあるもののそれほど、励行はされていませんでした。
また、原作と制作で別々で通販をやっており、その上売っているものが違うため、とても不親切です。
そして、16商品中6商品がランダム商品。
このご時世にランダムすら疑問視される中、6商品出してくるとは面白い冗談だなと思いました。そのなか、トレーディングスペースを用意するどころか、禁止してきて、コロナ対策の一環として、劇場内、周辺でトレーディングしないでね。と言ってくるのは、自分たちが我慢をせずして、客にだけ我慢してって言ってくるのは本当に虫が良すぎて、怖気が走りました。
しかもこのランダム商品の一つであるキャストランダムブロマイドは、当たりサイン入り。いつ書かせているのか知らないですが、よりトレーディングを助長する行為はやめてほしいです。
場内での会話と同等になりますが、トレーディングにおいても最初のほうはスタッフが注意するところは見受けられませんでした。
一階下(10階)は劇場の受付になっていますが、そこでのトレーディングを劇場スタッフが注意することはなかったです。今回は「劇場側の要請」でトレーディング行為を禁止するように、記載をお願いしているのですから劇場スタッフ側もそれには協力すべきなのではないでしょうか?
そして、客側もですがランダム商品を出すのが悪いとそのことを盾にして、注意事項に書かれている行為を今の状況下でやるのは間違っていますし、Twitterで告知されたからDMで分からないように場所を決めようというのも間違っています。
トレーディング行為に関しては今取り沙汰されている舞台と、行っている行為はそれほどに変わらないです。
5.備品の貸出
特設サイトには「備品の貸出はしない」と書いてあるにも関わらず、リピート特典のところや、物販では忘れたのであれば貸すといった状態でした。ガイドラインには十分な消毒をすれば良いとの記載はあるのでそこが守られていれば、問題はないです。
ただ、サイトでは断言しているので、下に東急ハンズあるし降りればコンビニもあるのだから、そこで買ってきてくださいで済ませればいい話では…?親切だとは思いますが、自分たちで書いたことくらいは徹底してほしいです。
6.リピーター特典
複数回来るとそれに応じて特典が得られるというもの。
普段の興行でもこれはあるのですが、最初にこれを付けたままにすると聞いたときは「正気か?」と思いました。
ガイドライン上は確かに問題はないのですが、繁華街に位置する劇場であり、交通はみな公共機関を使う、そして複数回行くことで体力面や健康面など総合的にみて、罹患率が上がるのではないかと。
引き合いに出して申し訳ないですが、『The☆JINRO』では現在わかっている来場者の陽性発覚している人は人数的には16名。( http://www.risecom.jp/news/index.php?detail=60 )
しかし、公演毎で表記されているのをみると63名でつまり複数来場者がほぼで、一人平均3~4回いっている方が多い。(平均値で出しているので、全通などは考えていないです。)
一例でしかないですし、其々の健康や免疫力にもよりますが、やはり複数回のほうがリスクが高いと感じます。
このリピーター特典を辞退されていたのは降板されてしまいましたが山本一慶さんのみで、ほかの方で辞退する方は見受けられませんでした。ファンが大事だというのであれば、ちゃんと断って欲しかったと思いますし、今後の舞台でワクチンなどが出ていない時期にリピーター特典を出す運営があるのであれば、来場を促すことや金策より、人の命を思い出してほしいです。
運営も劇場もキャストもスタッフも、誰も観客の健康や罹患リスクことは考えなかったんだなと実感しました。キャストがそこまで言える立場ではないとは思いますが…、現状を見てちゃんと判断してほしかった案件です。
7.消毒・換気・清掃
ロビー各所に消毒液を設置します。
と書いてあった気がしたんですが、2,3か所しかなかったように思います。
せめて、入り口付近には全部置きましょう。
4月に発表したのだから、それくらい集められますよ。
また、清掃がちゃんとされていたのかは不明で、特に楽日はマチソワの間2時間もないですが、客席の手すり消毒とかお手洗い清掃とか全部できたのでしょうか?
ちゃんと清掃できるように、いつもの公演時間を設定するのではなく、マチネを一時間繰り上げるか、ソワレを一時間繰り下げるかをしてちゃんと安心を届ける努力くらいできないのでしょうか。
今のところこれくらいですが、まだ思い出すことが何かあったら追記するかもしれないです。
値上げ再販についてはとても不誠実だったな☆と永遠に思い続けるくらい。(根が深い。)そもそも、キャスト告知なしで最速先行をしていて、そのあとにキャスト発表して、キャストファンには「最速先行☆」って案内したころから、もうこの作品あかん…ってなっていたくらいです。
舞台自体は楽しく観ました。
最後まで読んでくださった方はありがとうございます。
舞台 文豪とアルケミスト~異端者ノ円舞~
2020年最初の観劇。
舞台『文豪とアルケミスト~異端者ノ円舞』
続編決まるのがとてつもなく早く、しかも発表されたのが私の推し俳優である谷佳樹さんの円盤発売イベント(大阪)でした。
W主演だし、白樺派メインだし、東京の会場を除いて全てが楽しみの舞台。
早く年末にならないかな。
なんてそわそわしていた。
いざ、大阪で幕が上がると前作とはまた違う楽しさ、アプローチの仕方ででもそこにあるのは初演で作り出した『舞台 文豪とアルケミスト』という作品の雰囲気を纏っている。
だからこその初日からのスタンディングオベーションだったのでしょう。
以下は考察という程でもない私の思考と、感想になります。
序盤で見える主題と副題
今回の主題として武者小路実篤の著書である
『友情』
がメイン。
開演前にステージ上にスポットライトに照らされて置かれているのは、志賀と武者小路の書簡のやり取りを納めた本。
二人が長い年月を掛けて気の年輪のように刻んできた『友情』の一部を切り取ったかのような日常であった文字たち。
観劇の二回目以降に萩原の語りが終わった後に「拝啓」が劇場に響くと、胸が目頭が熱くなります。
ただ、バックボーンに
『孤独』
というテーマも入る。
誰が孤独なのか。
周りを固めるキャラクターが何故、その選択だったのか。
そう考えると
『友に残されていった人』
もしくは
『友を残していった人』
で形成されている。
これは今回メインになっている三人とも当て嵌り、志賀と武者小路、有島の関係とも言えるかもしれない。
時代的に友より朋の方がしっくり来そうな感じがしますが、朋友と書いたほうがどちらとも捉えられて伝わりやすいかな…。
だからこそ序盤のシーンは孤独という闇から始まり、萩原朔太郎の『僕の孤独癖について』からの引用を持ってきたのでしょうか。
そして、この序盤の語りは最後のシーンや、武者小路実篤の志賀直哉感にも、そのまた逆も表しているのかな。
だなんて思います。
そう、ここの序盤のシーンは天才ブルズの皆さんの呼吸で、闇の中での静けさが上手く表現されていて天才天才大天才!!ってなるので、全ての演出に於いて最初からテンション高く見られます。笑
異端者ノ円舞
異端者とは誰のことであったのか。
と最後見た時に思う人も多いと思います。
私の中だと今回の作品に特化していうと、白樺派の三人。(作家というのは誰でも周りから見ると『異端』そう思うところもあるので、特化)
何故か。
それは前作では全員に自分のコピーである侵蝕者と対峙するシーンがありますが、今回は白樺派の三人だけです。
そして、その対峙するシーンはほぼほぼ一対一の勝負。
戦うシーンが真っ直ぐに薙ぎ払っていくわけでなく、本当に踊るように回転しながら戦うんですよね。
有島も、志賀も武者小路も。
後半になると志賀と武者小路は相手を変えつつも円を描くように戦う。
つまりそれがこの舞台に於ける円舞なのだろうと。
白樺が異端なのは三人三様ですが、志賀は劇中で「太宰も貴族のあんよはどこにあるんだって言ってただろ(うろ覚え)」なんていうところや、「俺は親に勘当されて行く宛てもなくて(うろ覚え2)」というところで明白です。
貴族でありながら階級のない社会を作ろうとしたり、理想主義でありながら有閑階級であることに苦しんだり(ここもさらっと劇中で触れてますね)…。
そういう側面から見て、今回の『異端者』は白樺派の3人なのでしょう。
好きなのは白樺派が敵の留めの刺し方が、溜めて斬り捨てる。のが好きです。
そして、最初の語りで出てくる『ミネルバの梟』。
自著だと自身を指す言葉なのかなと思いますが、ミネルバは詩や知恵や、魔術やを司る女神で、彼女の聖なる動物は梟。
そのことから梟は知恵の象徴とされますが、この劇中では文豪を指し示すのかななんて思いもしました。
転生したことによってまた暗い暗い洞窟や、森や、路地やを抜けて一筋の光に向かってまた飛び立てるのであれば素敵ですよね。
また気が向いたら他のことも書こうと思います。
気が向いたことがあまりないですが。苦笑
書きたかったことだけ。
第三弾は北原一門メインかなー?!
9/19は或る図あるらしいんですけど、どっかぶりますか?!どうですか??
孤独であるという記憶以外がほぼほぼなさそうな萩原さんですけど、メインできたらどうなるんだろう。
「早く犀に会いたいです」
と言った三津谷さんは天才でしたし、日々の日替わりも萩原先生に則ったもので大天才でした!!
全部入れて欲しい。笑
谷さん舞台感想 その①
2019.01.11-2019.01.27
2019年最初の舞台。
タイトルを知っていたものの読んだことがなかったので、2018年末から予習していきました。
家族とは。
愛とは何か。
孤独な少年が妖怪のいるアパートに移り住み、皆と真っ直ぐに向き合って、家族になっていく話。
脚本の谷碧仁さんの原作の落とし込み方がとても上手い。今まで見たストーリーが確りとある.5舞台では一番と言っても過言ではない。
今でもそうです。
何が上手いか。
主人公にある霊能力の存在を無くしたこと。
これがないことによって、この舞台では話が観客に伝わりやすくなる。
そして、この舞台だけで話が完結。
それでいて、妖怪という日常に入れられた素材も魅力的に描いていて、期間中の前半戦ずっと感心してた。
推しも珍しく大人組で主人公の親代わりになっていくような存在。
人間なのに妖怪に間違われる作家先生だけど、可愛らしくコミカルで、それでいて自分の価値観を見出していて、主人公にアドバイスを送る。
このアパートには主人公の親代わりとか、兄弟とか、親戚とかたくさんたくさん家族が出来ていくんですよね。
血の繋がりではなく絆での繋がり、無償の愛を注いでくれる存在。
人間であっても妖怪であっても。
立場とか年齢とかも関係ない。
その中でも推しのキャラは主人公の意志を尊重しつつも、アドバイスとかをしていく役目で好きでした。
佳樹さんらしい。
声が安心する声なので、諭すところとか心がほっとするし、コミカルなところとかは動きが可愛らしいので、アニメとか漫画とかで小さく描かれるのもリアルだとこんなかなー?
という一色さんがいました✧︎*。
まあ、チケット増やした理由はカレイべで「脱ぎます」って言ってたのもひとつなんですが。笑
ただ、エゴサして「ただの谷佳樹」という言葉を書いている人が見受けられたのが残念でした。
これって個人的には悪口なんですが、褒め言葉に使っている人もいるみたいで「?」と疑問符が上がってしまう。
なんで悪口かというと役者って役になる者なので、ただの(そのままの)本人と言うのは「役を落とし込めてない」、「演技が出来てない」そういう事に感じられる。
確かに演技に本人らしさがあるのは、役者としての魅力だけれど、言葉としては「本人らしい」とか「彼にしかできない」とかそんな表現がいいのでは?
と個人的には思います。
友人でも褒め言葉と思っていた人いたので、よくよく言葉の意味を考えて使ってとは言いましたが…。
できれば、役者本人にその言葉を使っていないことを祈るばかりです。
円盤にならないので、ゲネ動画置いておきますね!
https://www.youtube.com/watch?v=z2AXa38IO_o
舞台『BIRTHDAY』感想
ビジュアルなどを見て、最初はシリアスかと思ったのですが予告動画が出て、いやこれは違うなーと思って初日を見たらコメディだけど、コメディでありつつ照れ隠しなシリアスでした。
【物語と人物、演出】
何らかの試練を課された者たちが今度こそ合格だと思って、喜び合うところから物語は始まる。
観客は初め疎外感というか、取り残された気持ち。
あれ、蚊帳の外かなって。
でも徐々に物語の一部へとなっていく。
登場人物は全員で10。
一人一人名前を呼び合うことはなくて、でも、物販コーナーやパンフレット、台本にはおまけのように名前は付いている。
これはただの記号。
私にはこの話が群像劇に思えたけど、意図してそうなったのかは分からない。
種明かしをしないが故にそう思えるのかもしれない。
そんな名前のない彼等はまだ産まれる前の、まだ人の形すら得ていない【精子】。
つまり、これは精子の生存をコミカルに、でも真摯に描いた物語。
物語が全体的にコメディたっちで進んでいくけれど、所々出てくるキーワードでこの世界観を想像したり、課される試練がなんなのか、演舞や照明やの演出の意図、そういった考える面白さだったり、メインとしていた人が退場していき、黒子というアンサンブルになり、SEやBGMやに参加する視覚的に体感的に、生で観る面白さ。
パンフレット内で平野さんが形容していた赤いテントで観るような面白さが詰まった良い作品で大衆演劇というのが腑に落ちる。
ただ、初回観た時、「コミカルな部分を女性である私が笑うことで、板の上の彼等にはシニカルに思えてしまうんではないか。」なんて思った。
母体の胎内で起こっていることで客席から離れて考えるとそう感じてしまい、けれど、客席に入れば普通にたくさん笑える。そんな考え、会場外。
それも役者さん全てのポテンシャルが高くて、急なネタ振りもトラブルも笑いに変えていくからでしょう。
【演出意図】
話の流れも導入で「何かを掛けて争っていて、誰かが脱落する」と言うのを馴染みのある椅子取りゲームで観客にわかりやすく刷り込みしていて純粋に凄い。
そして、徐々にただの振り落としから、性格で選定されていくようになり、「世界」というキーワードが出てくる。
この世界から脱出して別の世界へ行く。
何処へ?
勿論コミカルな部分だけを観て、何も考えず観る一公演も楽しい。
でも、『世界』やら、脱落の理由やら、なにやらを考え出すと二公演目からはより楽しかった。
何度目かの試練で水に落ち、泳ぎを印象付けるところ。
台本(原案)だとマイムと書かれていたのですが本編は祭りの掛け声で円舞。
小道具とかの音が和の雰囲気が高いから、そう日本の祭りの方に擦り合わせて来たのかなー?とか、わっしょいよりソイヤのほうがしっくりくるからかなー?
とも思って見ていたのですが、オタクの悪くも良いところで何事も理由付けしたくなり、「ソイヤ」。調べました。笑
「素意成」、「素直な心を持って成とする」。今回の舞台にも合っていて、素直に良かった。
【生命の鼓動】
最後、どんどん人が振り落とされて主人公が残って胸を抑えると皆が足踏みするところ。
生命が宿って鼓動を始める。
その表現。
ここが特に好きで9回みても好きでした。
身体に直に伝わってくるから、自分まで新しい生命の誕生の瞬間に立ち会えた喜びのようで。
何億分の一に選ばれて走り出した先の先に待つ、最後を共にした二人。
光の道の前に左右に立つ。
これは仁王像で、阿吽。
だから、彼らの立つ場所は鳥居であり、仁王像であり、その先の光の道は産道(参道)。
だから、そこに立った主人公は光より外には出ない。
こう、パンフレット読むまではテーマを、「生命」とか「生きる」とかそういうふうに受け取っていました。
「愛」と聞いて見方が少し変わりました。
最後のイチの叫びはきっと観た方の心に届いたと思います。
何億分の一に選ばれた全員が産まれて、今生きていること、そのものを祝福してくれている。
大きくて深い「愛」でした。
素敵な舞台を観られて嬉しかったです。
舞台BIRTHDAY、お誕生日おめでとうございました。
舞台「文豪とアルケミスト余計者ノ挽歌」感想破
いつも勢いで書かないと後半書かないので、とりあえず続けて破の部分も書きます。
序の感想↓
http://b-hfty.hatenablog.com/entry/2019/03/10/215246
破の部分は斜陽への潜書の部分ですね。
ここの志賀さんが斜陽への潜書を拒む。
多分、ここのあたりがゲームの志賀さんだったら、普通に行きそうに思えます。
私の中では前述の通り精神が少し安定していらっしゃらないので、拒否るのは必然。
ただ、志賀さん意地っ張りすぎて、太宰さんの「俺の作品は守る価値がないってことかよ!」に、「そう捉えてもらって構わない。」だなんて言うから話が拗れる。
「太宰の文学は守りたい気持ちはあるけど、自分がそのなかに入る気にはならない」みたいに言ってあげれば良かったんじゃない?!
ってなります。
毎回。
このあとの「お金もっていてすみませんって恵んでみろ」から「産まれてきてすみません!」が好きです。
でも中原殴ってしまった時に前楽かな?
「志賀が「GO!GO!」って」の言い訳は草。
好きなのは「斜陽(左様)でございます」ですね!笑
斜陽へ入った時の春夫先生の活き活きさは全人類に伝えたい。
切られる川端、斬られる菊池。
ご愁傷様としか言い様がない。
ここは原作知らない人には少し優しくないシーンですけれど、多少の説明も合わさるので気になった人はゲームやったり、してね!
って感じです。
記憶がない分、ここまでの芥川先生がとても精神安定しているように思えるのですが、殺陣が思ったより男らしくてビックリしました。
もう少したおやかな感じかと思っていたので、剛と柔が交互に押し寄せるようで、見ていて「これが芥川龍之介」と納得させる殺陣でしたね。
殺陣は打撃も合わさり全体的に男らしくて、とても好きなのですが、えげつないと思うのは織田作ですね。
基本喉を掻っ切るので。
字で現すと
「皮へ刃の冷たさが当たるのを感じた。徐々に皮から肉へと入り込み、自分の体温が金属へ伝わっている。その感触の直後に見たのは、赤い飛沫であった。」
そんな感じです。(うん、分からん。)
斜陽の潜書だと一番わかりやすいかなーと思うのですが、文字の敷き詰まった光は壇上から壁へと移動していくんですよね。
あれを目で追うと自分も潜書した気分になるので良かったです。
このあと白樺の小芝居入って、志賀さんが芥川さんの元へ駆けつけて行きます。
でも、ここまでだと、そんなに志賀さん芥川さんのこと気に掛けているように思えないので、え?ってなりますよね?
私はなりました。
序にもここカテゴリーの最初にも書きましたが志賀さんってやはり、一番記憶が「曖昧」だと思うんですね。
でも、負に思っていることはなんとなく心底にある。それが一番の行動基準な気がします。
ただ、気に掛け過ぎていて、良い言葉をかけたつもりが、「鼻」への潜書の次に、芥川さんの負の感情を呼び覚ます切っ掛けになってしまうのがとても悲しい。
悲しいのは最初、久米さんの記憶がフラッシュバックした時、自身で振り解けているんですよね。
斜陽でも少し思い出すだけで決定打には至っていない。
一番の引鉄は志賀さんの
「「鼻」が芥川龍之介の魅力に溢れた短編」
「夏目漱石に認められた作品」
なんですよね。
これが徐々に思い出した記憶からだったら……もしかしたら、と思わずには居られない。
そして、何よりあんなに優しく芥川さんに話しかけるのは、我孫子へ尋ねてきた時、求めていた答えを出してあげられなかった記憶からなように思えるのでした。
このあとの斜陽を芥川さんに直接渡すのは、桜桃忌に三鷹の墓前へ伝えたい勢いです。(しませんが。笑)
残りはまた後日書きます。
舞台「文豪とアルケミスト余計者ノ挽歌」感想序
15公演を終えて、今、この作品は生命力に満ち満ちていたな。
そう思えています。
この作品は時間にして2時間、120分にも満たない質量だけれど、公演を見終えると、それ以上にもそれ以下にも感じる倒錯的な気分に毎公演なりました。
冒頭から導入部に掛けては、原作を知らない人への説明部ではあるのだけれど、上手く笑いが組み込まれていて、見ている側に説明を説明と感じさせないようユーモラスに組み上げている上に、座長である平野さんが演じる太宰さんに憎めない我儘さ、可愛さがあってこそ。
キャラの立ち絵再現、最初の潜書を伏線に。
そして、各派閥、キャラの関係性。
それが無駄なく入っているのが、脚本のソツのなさと、演出の見せ方がとても上手い。
OPでも全ての歌詞が各文豪にスポットが当たっていて、気付くと自分のキャラどんな風に表現されているのかな?!
なんて楽しみも出てくる。
初見でも楽しめるけど、二回目からより楽しめる要素沢山ある!凄い!ってなります。(ただ、人によっては一回目は虚無でするめ舞台って人もいるので、そこは悪しからず。)
そして、ここのOPに入る前(※1)は、芥川先生だけ剣(武器)を持たない。
一人煙草を蒸して、煙に紛れるように捌けていく。天才アンサンブルの人達8人だし仕方ないなんて思ってしまいますが、これも伏線なのですよね。
最初の潜書が「鼻」だけれど、これ自体も伏線で、これが終わったあとに「ところどころ記憶が曖昧でねー」という芥川さんの台詞も重要な鍵。
お笑い挟みつつも、大切なことを散りばめすぎていて、回収大変なんですけれど??とクレーム入れたくなる。(なるだけです。)
白樺派の双筆神髄を見て「あれやろや」というところも織田作(※2)の落ち込み方可愛い!って見てますが、これも大切なこと。笑
この後、無頼は過去の思い出に浸り、白樺派は研究を、乱歩はちょっか……案内役して、とか色々とありますが、この関係性を見せるのは感情移入するのにとても大事で、そのキャラが愛しくなる必要な地盤なんですよね。
重要なので、自由軒に行ってみたりしました。(行かなくていいんですよー。)
そして、この9人の中で記憶が一番曖昧なのはきっと志賀さんなんだろうな。
と個人的には思っています。
全員転生したてではあるのですが、行動への理由が一番曖昧なのは志賀さんなのですよね。
その次は芥川さん。
芥川さんは劇中の1番のキーパーソンで、その作品への記憶が物語の軸になるので、仕方ない。
では、志賀さんは?
なんで?
と疑問が出てくると、どう考えても太宰とのキャラの差別化。
ただ、ゲームからキャラを逸脱しすぎるのも解釈違いを起こして、うまく受け入れられない可能性がある博打要素。
だから、乱歩にも「転生したてで一部記憶が曖昧」的なことを言わせているんでしょう。
志賀さんが記憶が曖昧なことによって、太宰さんへの負の感情が強くなり、芥川さんへ慈愛の気持ちが強くなる。
きっとこの舞台の志賀さんは精神「やや不安定」か「普通」あたりなんだろうなと思います。
序の終盤で中原中也「サーカスの一節」が挟まるんですけれど、これはどういうことかな。
と思うんですが、解釈は人それぞれと思いつつ。
太宰の話を聞いた揺れ動く中原の心情。
そして、自分の詩の原点へ帰郷したような、ノスタルジックな気持ちになったのかな。だなんて捉えています。
※1 ずこーっは芥川さんは公演によってやったりやらなかったりして、可愛いです。
※2 織田作が凄いおかんおかんしてて好感度鰻登りだったのですが、特に太宰くんが泣きそうになる時に一緒に「むー」ってなるのが、堪らんもうやめて。やめないで。なんて葛藤を産みます。