舞台 信長の野望・大志~金泥の首~感想②

織田と浅井でルートが変わるのですが、時系列を整理して合わせて書いていきます。


初めに両者ともに世に躍り出た年の永禄3年から始まって、織田が桶狭間、浅井が野良田。


この時に二人の中に平成の記憶が宿ったのだと思う。何がきっかけかは分からないけど、ここが両家の始まりであり、この信長の野望の始まり。


平成の記憶が呼び起こされる時が、啓示を受けるかのようにここに意志がないようになるけれど、プレイヤーがログインしたのかなー?って思ったりしてみると面白いし、平成の記憶は宿り方も人それぞれのように思えるけど、どうなんだろう?


ただ、ここはやはり両者、家を生かすことに必死で、その平成の記憶がなんなのか疑問に思いながらも、「知っている」という意識もありつつ、歴史どおりにことを進める。


ここの戦の前でお橋さんがルート分岐役なのだけど、フリートークでも言っていたように、本当にプレイヤー選択みたいで面白いです。

今日はどっちかなー?

って見ています。

美術さんがルートによって家紋変えたり、後ろの色を変えたりしているけど、宗久さんとお橋さんからは見えないらしい。笑


そこから数年経ってから、織田と浅井共にその時のことを思い出しつつ、「先の世のことを知っているのか」と言う疑問定義をしていくけど、ここは半兵衛役の黒貴さんと光秀役の推し(谷さん)の長い台詞が凄い。

終わるといつもお疲れ様です。と一旦なります。笑


ここのシーンでお八重の方が出てきて、「思うておるのです」と長政に告げた時の、光秀が動揺しているのが好きです。

劇中一番動揺しているのでは??


この後にOPになるけれど、OPもまた良き。

特に光秀が刀を降ると幕が降りてくるのは、信長の幕を降ろすのが明智光秀だからなのかとか想像もできてよいし、年表を広げるのも光秀でその歴史を手に取っているのはまた、光秀なのかと思える。


ただその歴史を燃やして抗おうとする織田、浅井もとても良きでした。


あとやはりあの初めの足でリズムを取るとが毎回毎回、かっこええ。となったのですが、ルートによって向き変わるの大変だっただろうな……。徳川も出てくる方向違うし……。


円盤届いたらよくよく見てみたい。


遠目から見た時、幕の奥でやってるのは正史の記憶かと思ったのですが、あれは多分、唐突に平成の世に来てしまった困惑かなと思いました。

幕の観客側は平成で、舞台側は戦国なのかな。

きっと。


続きは③に。

舞台 信長の野望・大志~金泥の首~感想①

2018/05/17-27にシブゲキにて開催されていた信長の野望大志 ~金泥の首~。
まず、簡潔に言うと、脚本演出がとても良い。
そして、そこに演技に殺陣、唄に秀でた方々が揃い踏みとなり、織田信長の始まりの時勢を、信長の野望というバックボーンを上手く使い、描いた作品。

金泥の首というタイトルから浅井朝倉の髑髏あたりまでやるのかという予想は少し歴史に触れている人ならわかる副題で、メインも織田と浅井に分かれる。
けれど、その副題と信長の野望の「自分が信長、ほか諸大名なって戦国の世を生きる」というゲーム性を上手く活かしていて、ただ戦国史をなぞるとは違う作品として確率していた。
感覚としては戦国時代の武将自体に、プレイヤーの平成の記憶が宿ると言うのが近いかなと思う。
宿っている意識は歴史好きというかもうオタクかな?と言うほどに歴史に詳しい。
「そこまで知っているの?!」
って驚く程に。
ただ、肉体はその戦国武将のもののままなので、身体が剣術を覚えているらしく平成の記憶がある武将も戦える。
強すぎない?
平成の記憶も持っていて、更に戦えるって強すぎない??

ただ、この平成の記憶がある武将たちの悩むところは、「真の歴史」を知っているから、その道の通りに進んでいいのか、それともより良い歴史を辿るために違う歴史を歩むのかという部分。
でも、武将として生きることになった漢であれば、その足で戦国大名として生きて、天下を。
という夢も出てくるわけで、歴史通りにも皆が描くこうあったらという思いも違ってくる。

だから、その物語は、夢は、その人それぞれの浪漫として幾つも産まれるのだろうなと感じた。

これが歴史ものでありながらも、「信長の野望」というタイトルを冠する舞台で、うまく「自分が将になったら」を表現していて、楽しめた。
自分が初めてやったゲームだったから、推しが出ていようとあまり期待値を高めにしないで行ったけれど、それが逆に良く、こんなに素晴らしい舞台にしてくれて感謝でしかない。

次は織田と浅井の進みを整理して、一本の物語にしてそれぞれの感想を書きます。

私の独り言感想。